ヨコハマへ3 of 武松事業デザイン工房



まさに旧都心となりつつある港都ヨコハマ 老舗企業

インターネットの普及とともに急速なボーダレス化が進んでいます。一方、インターネットは、市場のイニシアチブを、売り手である企業ではなく、買い手である消費者の手に委ねようとしています。

今日的な消費者は、情報が溢れる中、徐々に知識高め、その上で買い物をし、飲食店を選択します。企業側が発信する情報だけでなく、第三者による意見を探して判断をしようとしますし、インターネットの存在が、それを容易に行える環境を整えています。
しかも、彼らは、その情報を基に、必ずしも地域で買い物をするわけではないのです。かつて、横浜駅などの大規模な商業集積地が,街の商店街を潰すといわれていましたが、今は、その横浜駅周辺のような集積地でさえ、地域の消費を集約しきれていないというのが現状です。

消費者は、気に入ったデザインのものがなければ、ネットの専門ショップから「通販」で買えばいいのです。ネットは、路面店やテナントショップのように幅広く品揃えをする必要がないので、それぞれの消費者の好みをとらえやすく、少産品も扱いやすい…消費者の嗜好が画一的だった時代は路面店やテナントショップの方が有利でしたが、消費者の好みが分散してくると、専門性に徹することができるネット・ショップの方が有利です。そして、その「通販」を、高度に進化した宅急便システムが支えます。きょう採れたての鮮魚でも、大型の冷蔵庫でも、彼らは何でも戸口まで運んでくれます。場合によっては設置もし、コンピュータの初期設定をし、金銭の授受までをも代行してしまいます。
こうしたことから、特に嗜好性の高い高級品や耐久消費財の多くは「通販」に流れてしまっているのが現状です。食品やインテリアなどにこだわりを持つ「生活文化型消費者」は、生活必需品の大半を「通販」に頼るようになったといわれれています。

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大手

退場を命ぜられる地域企業

このままでいくと、地域には、消費者にとってあまりこだわりのない「買い回り品」についての消費しか残らなくなってしまう可能性があります。
しかも、その「買い回り品」についても、熾烈な廉価競争が続いていきます。廉価性で競争をすれば、小さな地域企業は、巨大な資本を持つ大企業に勝ち目はなく、その大企業でさえ、お互いを潰し合ったり、吸収したりの熾烈な競争を勝ち抜いていかなければならない、そんな状況にますます拍車がかかっていくでしょう。

今はデフレの状況といわれていますが、燃料や食糧を海外に依存し、政府や自治体の財政も最悪の状況に近いわが国においては、やがてインフレが加速していきます。市場規模は縮小し、故に全国民的な就業の転換を迫られている中でインフレが起こる。こうしたなかで、消費者から、地域企業を護れという声があがるのかどうか…
90年代には就業の確保という面において、行政は地域企業を保護する政策を打っていましたが、そうしたことも大手企業に委ねた方がよいという声が上がりはじめています。
それも、ただ「大手だから(資本力があるから)」というのではなく、大手の企業の方が時代のニーズに応える経営体質をもっているからです。

応えられない

消費者の要望に応えられない地域企業

東京から流行情報が発信されると、その情報はマスメディアから全国に発信される…。地域企業は、その情報を追いかけて、その地域で最も早く、その流行が手に入る環境を整える…それが高度成長期の商売の組み立て方でした。
直接、エンドユーザーに対峙することのない、行政予算に拠る部分が大きな業種も、結局は、中央官庁が主導する施策、補助金の動向に左右されているわけですから構図としては同じです。

つい最近まで、消費者の志向は全国的に画一的な傾向を示していましたから、こうした方便をとることも,決して間違いとはいえません。むしろ、適切だったということもできます。

しかし、今や消費者の志向も画一的ではない。多くの人々が中流的な消費を不可能にするとはいっても、だからといって、そこに巨大な下流マーケットができるわけではなく、人々の志向によって、いくつかの小さなマーケットが分立するようなかたちになるはずです。
みながテレビを買い、クルマを買い、家を買うということはもうありませんし、どの家庭にも子どもがいるということも、もうないでしょう。

でも、地域企業は、そうしたマーケットの変化を見過ごしにしてきました。同業の者どうしの横の繋がりと、自治体に繋がる縦のつながりと、その小さな世界に閉じこもってきました。

思い込み

地域企業は自分の実力を知っているか

横浜だけは絶対に大丈夫だ…そう思われている方はほとんどいらしゃらないと思います。しかし、その一方で、次の時代への準備も、ほとんど手つかずの状態になっていらっしゃる方が大半だと思います。
まず、自分の持つ「これまでの成功体験」をまっさらにして、今を、次の時代を見つめられているかどうか。
いずれにせよ、この半世紀ほどのセオリーからすれば、180度、まったく反対の方向に向けといわれているような時代です。すでに組織の統制力を問われる時代は終わっています。

L1000409.JPG集団を編成する能力、それを集団として動かす能力よりも、いかに個人の能力を発見し、それを伸ばしながら生産性に繋げることができるのか、個人を単位にした小集団を自立させながら、それを会社という大きな集団にどのように位置づけていくのか…それをともなって社員のみなさんをどのように評価していけばいいのか。
同じ時間を働いたから、同じ時間分の給料を、というのでは、今の時代に必要とされる生産性を確保することはできません。

ひとつひとつのサービスを改革していくのも思った以上に大変なことですが、それ以上に、これまでの会社を支えてきた基盤を入れ替えるような改革は、もっとたいへんなことです。
しかし、表面上の改革で乗り切れる時代ではないということは、火を見るよりも明らかです。

情報の創造性

コピーなら素人でも簡単にできる時代

物を動かして収益を得るということが主流の時代には、横浜は文字通り優等生でした。中流といわれた人々の消費活動が活発だった時代においても、そうでした。
しかし、これからも、その時代において優等生のままでいられるのかどうか…

まだまだ150年足らずの横浜、特に都心部には、基層となる文化は成熟しておらず、時代ごとに表層を塗り替えながら今日を迎えています。一方、郊外区においても、もともとあった歴史とは脈略のない、新たな都市像が与えられて数十年の時間しか流れていない…こうした街ほど「情報の創造性」という面では大きなハンディを抱えているといわざるをえません。

Y150横浜博覧会に、地域の経済界がなにか、新しい情報をつくり出して出品することができたでしょうか。ヒルサイド・エリアには活発な市民参加があったといいますが、地域の企業、あるいは店舗はどんな情報を発信できたのでしょう。ひょっとしたら、Y150横浜博覧会の集客力だけを充てにして、積極的な参加はしなかったのではないでしょうか。

インターネットが発達し、コンピュータの操作性がより簡便になってくれば、買い物が便利になるだけでなく、情報の複製(コピー)もどんどん楽になっていきます。
つまり、情報はオリジナルなものでないと、ほとんど意味がないことになります。
しかし、横浜の地域企業は、例えばブランドものを扱ったとしても、そのブランドの評価が固まってから手を付けるというのが基本で、自らブランド開発をしていくことを「損だ」と考えていた節があります。

そのままの体質を引きずって、これからも生き残れるのか…

明らかに、横浜の地域企業、地域経済は岐路に立たされています。

ある種の規範をつくって、それにみなが従うかたちで集団を形成し業務にあたる…こうしたかたちは、均一な品物やサービスを生産したり、販売する場合には適したスタイルということができますが、やはり、新しい情報を産み出すとか、消費者ごとに対応を変えなければならない状況には、やはり不利に働くものです。

故に、これまでを集団生産に拠っていた企業体質を、いかに「個人」を基盤にしたものに転換させていくかということになります。チームを編成し、その管理をリーダーに任せるという方法論は、あまり今日的なものとはいえません。

集団制を基盤に長い間を過ごしてきた企業を「個人」に立脚したものに換えていく作業は、確かに容易に行えることではありません。しかし、不可能だと決めつけるのも、また早計なことです。打開策は必ず見つけられます。