増殖するイメージ
創作されたヨコハマのイメージ
横浜は、いくつもの娯楽映画、テレビのロケ地になってきました。戦後の映画全盛期、特に日活アクション映画以降、まだ外国が遠い憧れだった時代に「その外国を近くに感じられる場所」であったこと。そして、そのことがハイソサエティな上流の暮らしを描くのにも、無頼な不良を描くのにも便利であったこと。そうしたことと、東京に集中していた撮影所から至近な距離にあったことなどが、あいまって、横浜は「ロケ地の常連」になっていったのだと思います。
しかも、そのことは映画の全盛期が終わり、テレビの時代になっても続きました。テレビ・ドラマの製作スタッフは,映画のそれとリンクしていますし、ドラマを制作するテレビのキー局も、映画会社と同様、東京に集中していましたから、当然と言えば当然のことです。
リアルの喪失
そこに住む人々でさえ、創作されたイメージに巻き込まれていく
テレビに、日頃から知っている街角が映れば、なんとなくうれしくなるものです。ましてや、松田優作や藤竜也、柴田恭平、舘ひろしといったところが、カッコよく描かれる中に、見慣れた街角が映っているのです。
もちろん、フィクションであることは充分承知しているつもりなのですが、そのカッコいい横浜は、普段から自分が体感している「現実の横浜」です。だんだんドラマと現実の境の見分けがつかなくなってきます。
同様に、この街を訪れる人々の中にも「カッコいい」横浜や、ハイソサエティな横浜のイメージが増殖していきます。ドラマはドキュメンタリーではなく、あくまでもつくりものの世界につくりもののヒーローやラブストーリーを描いているものです。
でも、その背景になっているのは「現実の横浜」。セットで撮影されたものよりも、はるかにリアリティがある虚構ということになります。
制御できたか
イメージをコントロールできなかったヨコハマ
映画やテレビの中に描かれた横浜は、観光都市としての横浜にとっては,決してマイナスとはいえないものです。むしろ、大いにプラスになったというべきものなのかもしれません。
しかし、このイメージは、横浜市民が意図して、あるいは計画的に産み出してきたものではなく,みな東京の映画会社やテレビ局がつくってくれたものであるということに、あまり留意がないということは問題です。
もちろん、上手く利用するというのなら、まだよいのです。それもで、他人の褌で相撲を取るといった感は否めませんが、冷静に「よきイメージ」を利用出来ていれば、それなりに成果はあがるのだろうと思います。
しかし、そのよきイメージはもともと横浜にあったものではなく、東京の映画会社やテレビ局が産み出したものだということを冷静に理解していないと、むしろ、私たちは、その中で、自分たち自身の「リアル」を見失い、勘違いの中に生きていることになります。そして、特に観光振興などの点では判断を見誤る可能性が高くなってきます。
本当の「ヨコハマ・オリジナル」は何なのか。実像としての,この街はどんな街なのか…どんな創造力をもっているのか、Y150横浜博を振り返りながら、私たちは、そうしたことを冷静に考えてみる必要があります。
横浜空洞説
ヨコハマ・オリジナルはどこにあるのか
知らぬ間に山下公園やマリンタワーに変わって、横浜の顔となった「みなとみらい」の景観。あの景観の創成したのも、東京の大企業、それに国や横浜市役所などの行政。横浜の地域企業は、このことにほとんどタッチしていません。
映画全盛期、昭和30年代や40年代までの作品に映し出される横浜には、民間の建物、街並がたくさん登場します。
海岸通りあたりの近代建築や港そのものの景観は行政の手に拠るものや東京の大企業によるものかもしれません。しかし、中華街や元町、伊勢佐木町あたり、石川町から横浜橋商店街あたりにかけての川筋など、行政の影がほとんどちらつくことのない、民間が民間の手でつくった景観が,重要な舞台装置としての役割を果たしています。
ところが、バブル崩壊以降、メディアの中で横浜を語るものは、行政か東京の大企業がつくり出した景観に集約されてきたような気がします。
かつての横浜は、莫大な利益をもたらした「港」に拠って立ちました。特に地域企業の多くは、そのとき地方からこの街にやってきた「一旗組(横浜にきて成功して一旗あげようとした人々、または一旗あげることができた人々)」の末裔です。
同様に、東京製の映画やテレビがつくりだしてくれたイメージと、現実の横浜をすり替えることで、ずいぶん、横浜は得をしてきたともいえます。
しかし、それ故に失ってきたものもあります。
この街に暮らし、この街に生きている私たちが、果たして、どれほどの「ヨコハマ・オリジナル」を産み出してきたのか…産み出している者がいたとしても、それをないがしろにしてはこなかったのか…
時代の、明らかな、そして大きな転換点に立っている今。私たちは、そうしたことを、自分自身に、真摯に問いかけてみなければならないようです。