地方化
「地方の時代」の功罪
故田中角栄氏による「日本列島改造論」以降、地方は、そのユニークな個性の存在感を薄め、画一化の道を歩みはじめました。氏は、地方に「東京並みの豊かさをもたらす」と考えられたのかもしれませんが、結果的には没個性な「東京っぽいが、東京には届かないもの」が地方全体にばらまかれただけのようにも思えます。もちろん、それまで大都市に集中しがちだった富を地方に分散させ、いっときにせよ、一億総中流の時代を気付き上げたのは田中角栄氏の功績に拠るところが大なのだとは思いますが、今にして思えば、功罪相半ばしてという評価も成り立つ部分があります。
「日本列島改造論」の最大のミスは、地方の自主的な判断力や企画・計画力、あるいは財源を育てることなく、中央に集められたものを再び地方に還流させるという手法を用いたことです。「日本列島改造論」が出版されたのは1972年。田中角栄氏が首相に就任したのも同じ年です。以来、30年以上に渡って、地方は独自の企画力を育てることもなく、故に、わが街のほんとうの魅力を顧みることもなく、ひたすら,中央から差し出される「これが発展だよ」というメニューにしたがって、まちづくり、地域づくりを行ってきました。
その間、役所で重用されてきたのは根回しの達人。政治家に期待されてきたのは「中央とのパイプ」その実力です。本来、産業を興すには、マーケットに潜在する需要を見極める力や、ビジネス・モデルを構築できるデザイン力ですが、事業のモデルプランは中央がつくるものだし、お金については補助金、つまり行政予算ですから、マーケットを見極める必要もなかったのです。
こういう状態が30年以上も続きました。
困ったら上を向く
教科書がなければ何もできないという体質
地域の民間企業も、知らず知らずのうちに、みな行政の方を向くようになります。役所と同様、社の体質も、企画力よりは、根回しなどの政治力ということになる…どこの地方都市に行っても、その地で大手といわれている企業ほど、そうした色彩を強くしています。
そして、地方は(地域は)「自分で考える力」を失ってきました。先行する成功事例を見学し、それを真似することはできるかもしれませんが、自分でオリジナルを開発することはできない…
「教科書」のまま、そっくりそれを真似することはできるが
「教科書」がなければ何もできない。
首都圏に位置し、東京に隣接する。しかも350万人以上の人口を抱える大都市=横浜と、地方都市というイメージは無縁なものに感じられるかもしれません。
しかし、身体が大きなだけで、体質的には、一般的な地方都市と大きな差異はない…それが本当の横浜の姿です。「ヨコハマへ 1」でも述べましたが、もともと横浜は、自ら情報を産み出すことをあまり得手とはしていない街です。新しい情報や物が行き交うことはあっても、自ら新しい情報をつくり出し、発信することはあまり得意ではありません。
そんな街に「日本列島改造論」の時代が30年以上も続いてきたということは、この街の未来に大きな影を落としてるといえます。
顔無しの街
東京か/横浜か
下の写真。向かって左側の写真はみなとみらいのクィーンズスクエアで撮影したもの。右側は六本木のミッドタウンで撮影したものです。
それにしても、どちらが東京で、どちらが横浜なのか、写真を見ただけは判断が出来ません。逆に、左側がミッドタウンで、右側がみなとみらいだと言われても、それはそれで納得できてしまうような空間です。この写真が両方とも大阪のショッピングタウンのものだといわれても何の不思議もありません。
私たちは景観だけでなく、こうした空間に日常的に接しながら暮らしています。
細部に宿る
都市の個性は細部に宿る
食、もてなし、技能品の魅力、街並を「歩いて楽しむ」だけでもいい…つまり、京都にとって、由緒ある名刹、名庭は,その魅力の一部に過ぎないのです。京都に詳しい方は、焼きそばやお好み焼き、ラーメンなどにも隠れた逸品があり、知れば知るほど、別の角度から魅力が掘り出せる、だから何度訪れても京都は面白いのだといいます。
一方、横浜については、2泊3日を過ごすとして、果たしてそれだけの間、観光客を飽きさせずに過ごさせることができるのかという見方があります。
東京から夕食だけ、あるいはお酒だけを飲みにくるならまだしも、観光して歩くような魅力が今の横浜にあるのだろうかということです。
確かに、近未来的な景観はお客さんを呼べるものなのかもしれません。山手あたりを散策していただくのもよいのかもしれません。でも、その後はどうでしょう。中華街でご飯を食べて終わり?
本来、景観やデザインされた街路は、観光の「背景」に過ぎないものです。やはり、街の魅力は、小さな飲食店や物販の店舗、そうした「等身大」の場面で展開される小さなドラマによって紡がれ、織り出されていくものです。つまり、小さな、ひとりひとりの「民」の力の集積によってしか、ほんとうに魅力のある街、深みのある街はつくれないということになります。
かつて、バブル絶頂の頃、各地の都市は、争ってコンベンション・シティを目指し、大型の施設が投入しました。それが今、現在、どのような結果をもたらしているでしょう。
結局、大きな会議場があっても、そこに集まった人たちが「繰り出そう」と思えるような街がなければ、街として潤うことはありません。
故に、民が自らオリジナルな情報をつくり出せるか否かは、その街の魅力の有る無しを左右する大きな問題だということができます。
自ら考え、事業モデルをつくり、それを実際に構築していく
地域の課題は、これをどう取り戻していくかとうことに尽きるのかもしれません。