大手
退場を命ぜられる地域企業
このままでいくと、地域には、消費者にとってあまりこだわりのない「買い回り品」についての消費しか残らなくなってしまう可能性があります。
しかも、その「買い回り品」についても、熾烈な廉価競争が続いていきます。廉価性で競争をすれば、小さな地域企業は、巨大な資本を持つ大企業に勝ち目はなく、その大企業でさえ、お互いを潰し合ったり、吸収したりの熾烈な競争を勝ち抜いていかなければならない、そんな状況にますます拍車がかかっていくでしょう。
今はデフレの状況といわれていますが、燃料や食糧を海外に依存し、政府や自治体の財政も最悪の状況に近いわが国においては、やがてインフレが加速していきます。市場規模は縮小し、故に全国民的な就業の転換を迫られている中でインフレが起こる。こうしたなかで、消費者から、地域企業を護れという声があがるのかどうか…
90年代には就業の確保という面において、行政は地域企業を保護する政策を打っていましたが、そうしたことも大手企業に委ねた方がよいという声が上がりはじめています。
それも、ただ「大手だから(資本力があるから)」というのではなく、大手の企業の方が時代のニーズに応える経営体質をもっているからです。
応えられない
消費者の要望に応えられない地域企業
東京から流行情報が発信されると、その情報はマスメディアから全国に発信される…。地域企業は、その情報を追いかけて、その地域で最も早く、その流行が手に入る環境を整える…それが高度成長期の商売の組み立て方でした。
直接、エンドユーザーに対峙することのない、行政予算に拠る部分が大きな業種も、結局は、中央官庁が主導する施策、補助金の動向に左右されているわけですから構図としては同じです。
つい最近まで、消費者の志向は全国的に画一的な傾向を示していましたから、こうした方便をとることも,決して間違いとはいえません。むしろ、適切だったということもできます。
しかし、今や消費者の志向も画一的ではない。多くの人々が中流的な消費を不可能にするとはいっても、だからといって、そこに巨大な下流マーケットができるわけではなく、人々の志向によって、いくつかの小さなマーケットが分立するようなかたちになるはずです。
みながテレビを買い、クルマを買い、家を買うということはもうありませんし、どの家庭にも子どもがいるということも、もうないでしょう。
でも、地域企業は、そうしたマーケットの変化を見過ごしにしてきました。同業の者どうしの横の繋がりと、自治体に繋がる縦のつながりと、その小さな世界に閉じこもってきました。
思い込み
地域企業は自分の実力を知っているか
横浜だけは絶対に大丈夫だ…そう思われている方はほとんどいらしゃらないと思います。しかし、その一方で、次の時代への準備も、ほとんど手つかずの状態になっていらっしゃる方が大半だと思います。
まず、自分の持つ「これまでの成功体験」をまっさらにして、今を、次の時代を見つめられているかどうか。
いずれにせよ、この半世紀ほどのセオリーからすれば、180度、まったく反対の方向に向けといわれているような時代です。すでに組織の統制力を問われる時代は終わっています。
集団を編成する能力、それを集団として動かす能力よりも、いかに個人の能力を発見し、それを伸ばしながら生産性に繋げることができるのか、個人を単位にした小集団を自立させながら、それを会社という大きな集団にどのように位置づけていくのか…それをともなって社員のみなさんをどのように評価していけばいいのか。
同じ時間を働いたから、同じ時間分の給料を、というのでは、今の時代に必要とされる生産性を確保することはできません。
ひとつひとつのサービスを改革していくのも思った以上に大変なことですが、それ以上に、これまでの会社を支えてきた基盤を入れ替えるような改革は、もっとたいへんなことです。
しかし、表面上の改革で乗り切れる時代ではないということは、火を見るよりも明らかです。
情報の創造性
コピーなら素人でも簡単にできる時代
物を動かして収益を得るということが主流の時代には、横浜は文字通り優等生でした。中流といわれた人々の消費活動が活発だった時代においても、そうでした。
しかし、これからも、その時代において優等生のままでいられるのかどうか…
まだまだ150年足らずの横浜、特に都心部には、基層となる文化は成熟しておらず、時代ごとに表層を塗り替えながら今日を迎えています。一方、郊外区においても、もともとあった歴史とは脈略のない、新たな都市像が与えられて数十年の時間しか流れていない…こうした街ほど「情報の創造性」という面では大きなハンディを抱えているといわざるをえません。
Y150横浜博覧会に、地域の経済界がなにか、新しい情報をつくり出して出品することができたでしょうか。ヒルサイド・エリアには活発な市民参加があったといいますが、地域の企業、あるいは店舗はどんな情報を発信できたのでしょう。ひょっとしたら、Y150横浜博覧会の集客力だけを充てにして、積極的な参加はしなかったのではないでしょうか。
インターネットが発達し、コンピュータの操作性がより簡便になってくれば、買い物が便利になるだけでなく、情報の複製(コピー)もどんどん楽になっていきます。
つまり、情報はオリジナルなものでないと、ほとんど意味がないことになります。
しかし、横浜の地域企業は、例えばブランドものを扱ったとしても、そのブランドの評価が固まってから手を付けるというのが基本で、自らブランド開発をしていくことを「損だ」と考えていた節があります。
そのままの体質を引きずって、これからも生き残れるのか…
明らかに、横浜の地域企業、地域経済は岐路に立たされています。