ヨコハマへ4 of 武松事業デザイン工房


これまでの王道が、王道でなくなる日

港都は利権の構造を産み出しやすいといわれています。モノを生産するよりも、動かすことで利益を得る者が主役になりやすく、また、希少性を産み出すことで、貿易品の販売価格を釣り上げる…だから利権の構造を産み出しやすい…あくまでも「かつて」の話だとは思いますが、港都にはそうした評価があることは事実です。

一方、港都は、技能を育てないといわれています。苦労してモノをつくり出すより、できあがったモノや原材料を右から左へと動かすことだけで利益を得た方が賢いと考える商人が幅を効かせるようになるからだといわれています。

ビジネスの種としては技能に注目するが、その技能の質を高めていくことには興味を示さない。
確かに、記録に拠れば、日本の工芸品が欧米への輸出品の花形だった頃、この街には、様々な伝統工芸技術の技能職の方々が集まっていたはずなのに、現状の横浜に、そうした技能の街であるという実感は、ほとんどありません。

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政治力

開発力の空洞化

ハダカの王様

王道だったのか

消費者に喜んでもらう商いか/ブローカー的な商売か

現在も南区庚台には、かつて陶芸作品がつくられていた窯場の跡があります。しかし、陶芸の伝統は、行政の保護施策の中になんとか命脈を保っているだけで、恐らく、地域の企業家には、この街に窯場があったことを知る人もほとんどいないでしょう。

IMG_2207.JPGそれでも、90年代頃までは、西区や南区を中心に、挽物、桐箱づくり、水引などの技能職の方が工房を構えていらっしゃいました。しかし、彼らに発注を出していたのは、みな東京の問屋で、彼らも横浜の企業家をほとんど知らず、企業家も,彼らのことをほとんど知らないという状況にありました。

このことと同様に、横浜の飲食店は「味」で勝負することより、宴会をたくさんとって来れる政治力の方を重んじる傾向があり、また、地域としても、そうした部分での力量をこそ、評価する…そんな声も聞こえてきます。

確かに、美味しい店がないわけではありませんが、そういった店ほど、商工会議所あたりでは無名で、行政も殊更にその存在に留意しているわけではない。そんなふうに思えなくもありません。

「もてなし」の質を問うような、文字にも数値にもできないこと。こうしたことを的確に掌握し、コントロールできる…
ただものを動かす、設置する。マニュアルどおりにサービスするのではなく、何らか、オリジナルなビジネスモデルをつくり、それを提供する…
どの分野、どの業種においても、それが求められる時代。それが知価生産の時代です。

消費者の動向を読むということにしても、データ化されたもので読み取れるものは、おおざっぱなもので、詳細なこととなると、やはり、数値でもない、言語情報にも置き換えられないものを読み取っていかなければなりません。
もちろん、誰かの成功事例をコピーするという方法は、もはや通用しません。それぞれが、それぞれにオリジナルなかたちを模索していかなければならないのです。
堺屋太一氏が指摘した知価生産(知恵自体が、最も価値を帯びる時代、または、知的な生産を価値に換えていく)時代とは、そういう時代です。

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