明日が見えそうで、見えないリサイクル事業
町内会の方々がいっしょうけんめい分別をし、それを自治体が主導し、二次的、三次的な再生作業を、プロフェッショナルなリサイクル事業者が担当する。しかし、その部分の採算をとるのが難しい。
自治体にしても焼却処分する方が予算がかからない。税収は心細く、国や県からの補助金は減額されて行く中で、そういう現実があるわけです。
確かに、運輸業における大規模な集配基地が、コンピュータとロボットによる完全無人化を実現する今、リサイクルの現場には、人の手による作業がたくさん残っています。
それ故、ある程度の技術移転が済めば、かつての自動車産業がそうだったように、より人件費の安い国を求めて、分別、再資源化の拠点は海外に流出するだろうというのが、ここ数年の、リサイクル事業についての見方。つまり、それだけ国内では成立しにくい業種だと考えられているわけです。
事実、国内にある工場にしても、働く人々の中には、外国からの労働者の方がたくさんいらっしゃいます。工場だけが国内にあっても、労働としては海外に流出しているのも同然の状況です。
情報ツールやコンピュータに不可欠ながら、少量しか産出しないレアメタル。これを廃棄物の中から抽出することで、リサイクル事業者を救うという意見もありますが、所詮は相場に左右されるもの。安定的な経営を約束してくれるものではありません。
一方、中国で本を読む人の人数が、日本並みの割合になると、世界中から森が消えるということから、古紙に活路を見出すという考え方もあるようですが、ある一定の経済成長を遂げた国は、みな、ペーパーレスの時代に入るのも事実です。実際、わが国の出版業界は、雑誌を中心に売り上げを落としており、コピー用紙の消費量も減ってきています。
(つまり、本も書類も、オンラインの中に消えていくということです。そして、そのことは、温暖化の問題からも歓迎されるでしょう)
90年代以降、リサイクルという考え方の広がりとともに、追い風を感じなくもなかったリサイクル事業ですが、リサイクルという考え方が多くの国民に知られるようになっても、そのまま隆盛になるというわけにはいかなかったというのが、この業種の実態です。
明らかに過渡期にさしかかっています。ハンドリングの難しい時代に突入してきています。
リサイクル事業について、抜本的、根本的に考えなおさなければならない時代にさしかかっています。
グローバル化
リサイクル事業もグローバル化と無縁ではない
まず回収するということから発想されてきた廃棄物処理業者の系譜を背負って生まれてきたリサイクル事業は、近所から魚屋さんや八百屋さんがいなくなっても、地域に根ざしながら事業を営んできました。
売る品物自体は、ある拠点で大量生産されているものである…そうした場合、小さな商店よりは、大規模に仕入れて、何十、何百という店舗にバラまきながら売って行くという方法をとれる大企業が有利です。コンビニなどにはフランチャイズの独立型の方もいらっしゃいますが、やはり仕入れに関しては、本部で一括大量購入。どこで買っても同じ量産品を販売するのですから、定型のひな形にもつくりやすく、量産を扱う限り、地域に根ざすよりも、大手が乗り込んできた方が有利なわけです。
ところが、回収から始まるリサイクル事業の場合、そのかたちや重さ自体がバラバラです。その都度、その都度、現場で判断しなければならないし、トラックという定型を活かしきれるかと言えば、それもあまり効率的には使えない…
故に、大きな資本でマスに展開したい企業は、この分野には進出してこない。
つい最近まで、そう思われていましたが、再処理や処分を海外で行うことを念頭に、ゴミを大型貨物船で運び出してしまうということを基盤に、全国を一括して引き受けるメガなリサイクル事業が展開できないかという研究が始まっているようです。
国内の流通網は、かつて佐川急便がそうしたように、既存の事業者を自分たちの資本の中に吞み込んでいく。そこに、自社で研究に研究を重ねたマニュアルをあてはめて、全国網を整えていく…恐らく、そういったことを考えているのだと思います。
それによって、どれだけ効率化がはかれるかはわかりませんが、捨てられるものが画一的な量産品であるなら、確実にひな形は描けると考えられているようです。
そんな時代が来るとは思いませんでしたが…
小さい者の生き残り方
知恵と技術を売る
例えば、社員数の多さ。所有するクルマの多さ、自らの処理工場を持っているもっていない…そういうことで、事業体の健全性や将来性を語ることは難しい時代に入っているでしょう。
恐らく、量で勝負する限り、大きな資本には勝ち目がありません。しかも、その参入は,現在、リサイクル事業を営んでいる者には厳しいものではあっても、消費者の利益と対立するものではないという現実があります。これからの自治体には、生活ゴミの回収や処分すら難しくなるかもしれませんし、再資源化などは、さらに難しいことになる…そうすれば、旧郵政省の小包が消費者ニーズに応えられないうちに,民間事業者による宅急便が発達したように、ゴミを回収し、再資源化する、あるいは処分すると行った行程を、すべて請け負う大企業が登場しても何ら不思議はないはずです。
そうなると、これまで活躍してきた、地域の、小さなリサイクル事業者は実務というより、リサイクル事業の組み立てや、技術的なコンサルテーション、再資源化について新しいアイディアを出すなど、知価生産型に転換しながら、それ相応のスモールサイズになっていく方向を目指すことが必要だと思います。
いつどうなるか、それは3年後のことなのか、10年後のことなのか、燃料費の高騰がそうした流れに拍車をかけるのか、歯止めをかけるのか…
そのことについては、誰も返答ができないと思いますが、今から準備をしておいた方が良いことだけは間違いないでしょう。
量か 質か
巨大化するものはより巨大に
先日、インドで3円のシャンプーを開発する会社の話しが紹介されていました。日本で3円はどうかと思いますが、これからの時代、量産品については、とことん安値が追求されていくでしょう。もちろん、あらゆるサービス業もそうです。原料費、燃料費の高騰から、今は値上がり傾向ですが、今後の「消費者の購買力」を考えると、そう考えた方が筋がとおっているように思えます。
しかし、その一方で、つくりだすもの(それは実際に物理的な形がともなうものだけではありません)の「質」を高めることによって、あえて「少産」の道を切り拓こうとしている人たちがいます。農業、漁業における作物。工芸品。主に海外を市場にして、逆に、私たちの常識では考えられない高値での商いを成立させています。
大きな資本の合併が続くのは、ひとつに大規模なリストラと経費節減を実現するためだといわれています。原材料生産、加工についても世界的な視野にたって「ローコスト」を追求せざるをえず、それが国際的な資本統合に繋がっているともいわれています。
そうでもしなければ、近い将来に要求されるだろう「安値」に対応出来ないのです。
私たちは、量と目方で仕事をはかってきましたが、この「量と目方」なら、大規模な資本統合が必要です。
一方、小さいままでいるのなら「質」を問える実力を身につけていく必要があります。
リサイクルに「質」…?
しかし、他の多くの産業種で、企業は、メガな規模にまで拡大させる道を選ぶか、それとも質を追求して少産型に展開するのか、はっきりとした選択を迫られていることは事実です。そして、そうした時代に居合わせている以上、リサイクル業界だけが無縁でいれるはずはないのです。