提案2 of 武松事業デザイン工房


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すでに舞台はある


先達のおかげで、舞台装置としての横浜中華街は、まさに世界に冠たるもの。それぞれの牌楼、関帝廟、馬祖廟…大型バスの停車場所に難ありともいいますが、それでも、あの街の区画の中で、よくぞここまでというインフラも整えられています。春節、国慶節など、恒例行事も今や横浜の顔ともいえる催しに成長しました。

これからの街の発展は、ディティール・アップにかかっています。そして、そのディティール・アップも、建物やストリート・ファニチャー、パブリック・アートの配置など、ハードにまつわることではなく、街のソフト=人々に拠る部分。中華街を構成するひとりひとりのマンパワーが試される時期に入ってきています。

ホスピタリティーと「味」。イベントを充実させるとか、イベントの日を盛り上げるということではなく、いかに、日常の中華街を面白くするか,魅力的なものにするかということ。

そのために何をするか(企画)。どうやって進めていくのか(事業化の道筋。人間関係の調整)。早急に答えを出さないと、逆に時代の流れに押しつぶされてしまうかもしれない。

中華街は、まさに転換期にあります。

ごちゃごちゃの魅力

画一化と逆の方向を向くということ はみ出ること

入り組んだ路地。ごちゃごちゃとしていて何が出てくるかわからない。それが中華街の魅力のひとつです。中華街に店を構える、あるいはこの街に住んでいる方ほど、この「ごちゃごちゃ」を過小評価しているように思います。
それ故か、バブルの頃から中華街は「画一化」の方向に向かいました。それでも細い路地は助かったのかもしれませんが、ごちゃごちゃさ加減は残っても、業種は単一化し、昭和30年代のように,様々な業種が入り乱れているような風情は少しずつ薄まり、今は栗売りと占いの店ばかりが目立つようになってきています。

いつの間にか、みなとみらいのような都心部だけでなく、住宅地も、モダンに切りそろえられたような空間で構成されるようになりました。
しかもオフィスはオフィス、住宅は住宅というかたちで棲み分けがはかられ、見える範囲は「画一化」、どこをみても同じ種類のもので固められてしまっている…さらに、そうしたオフィスも、住宅も、とても密閉性の高いものとしてデザインされていて、そこでいったい何が起こっているのか、外からは何も伺い知ることができない構造になっています。故に、街路は、そこに何人の人がいようと空虚なのです。

昭和30年代初期の下町を舞台にしたドラマやCMでは、しばしば、夕方、遊び場から戻ってくる子どもに、近所の人が「きょうは,お前んち、カレーだな」と声をかけるシーンが描かれます。
たびたび目にするということは、視聴者からも、それだけ支持をえているということなのだと思いますが、これこそが、まだ、住宅から「はみ出るもの」があった時代の、人と人との繋がり方、その豊かさを象徴している場面です。

多くの人々は、こうした時代にあった人と人とのふれあいをただ懐かしむだけでなく、そうしたことを実感できる場を欲しているように思います。
しかし、近所に気兼ねすることなく過ごせる空間を手放すことはなかなか難しい…

どこかで息抜きがしたい…

現在の中華街も、そうした人々にとっての息抜きの場として、少しは作用できているのかもしれません。しかし、そうしたことを中華街の人々がどのくらい感じ、どのくらい評価しているのかということが問題です。ときに、ないがしろにされ、ときに逆の方向に向いてしまうことはないか…

モダンで画一的な街はまだまだ増殖を続けています。ここが中華街の出番です。自らの魅力を再発見し、その魅力に磨きをかける…

ごちゃごちゃの魅力をどうデザインしていくか…それが腕の見せどころ、ただ「ごちゃごちゃだ」というだけでもダメなんだ。

普段の日の魅力

名傍役を存在させるということ

kingyo.jpg右の写真は、東京は戸越銀座商店街で見かけた風景です。今、横浜では見かけなくなった金魚売りのおじさんです。
商店街の主役はそこに店を構える商店や飲食店です。しかし、臨時の張り店や屋台なども、商店街のにぎわいをささえる名傍役ということができます。
しかし、これが押し売り的なものであった場合はもとより、来街者に押し付けがましい印象をあたえただけでも、街にとっては、大きなイメージ・ダウンにつながります。

金魚売りのおじさんは、実にほのぼのと商売をされています。お客さんと他愛もない会話をしながらのゆったりとした商いをされています。
金魚売りのかただけでなく、あちらこちらにこうした張り店、屋台があって、それぞれが「和やかな会話,雰囲気」の発信源になっています。

IMG_4855.JPG左の写真は、イセザキモールで撮影したものです。こちらはご商売というわけではなく、おじさんたちが集まって、なんとなく楽器を鳴らし、なんとかく歌を唄っているという、そういう風景です。

最初は、ギターを弾いているおじさんがひとりでした。若いストリート・ミュージシャンのように、自分を主張する感じで、そこにいるのではなく、勝手に弾いてるから、好きな人はどうそという感じで、そこにいらっしゃる。
そのうち、なんとなく、人が集まり、おじさんの伴奏で唄う人が現れ、楽器を持込んでセッションに参加する人が現れ、現在は、こんな感じです。いつも誰か、新顔の方が加わっていて、集団になっている…

大きなイベントは、その数日の集客を可能にするかもしれませんが、365日、そうしたイベントを起こし続けるというのも無理な話しです。

仮にそれが可能になったとしても飽きられてしまうでしょう。

そんなことより、何気ない日常に何かが起こっている。起こるかもしれないという期待感を持たせられるような街にしていくことを考えた方がいいのかもしれません。

そのために街ができることもあるはずです。

規 制

禁止/規制は中華街らしくない

何かの不都合があれば禁止する。そのための法律や条例をつくる。もちろん、そのすべて否定しようとは思っていませんし、必要性がある部分もあります。しかし、こうしたことで、モダンで画一的な都市空間が産み出されてきたことも事実です。善くも悪くも、規則は、その規則が適応される場所を画一化、均質化していくものです。

世の中に、画一的で均質な空間がたくさん産み出される中で、息が詰まりそうになっている人々に「息抜きの場」「和める時間」を提供するのが,中華街の役割なのではないかと思っています。

わいわいとにぎわう街で、息抜きが出来るのか、和めるのかというご意見もあるかもしれませんが、これだけ画一的になってしまった都市空間のなかにあると、混沌としているだけで、人間らしさを取り戻せたような気分を味わえるものです。

ですから、この街は、何かを条文で規制するようということを中心に据えるのではなく、あくまでも自然な流れに任せて変化していくという姿勢を崩さないことが重要だと思います。

何か、不都合なことがあったら、それを規制するのではなく、そうしたことが行えないような(あるいは、行ってもメリットがないような)雰囲気をつくっていくこと。
例えば、押し売りのような張り店があったら、その張り店よりも来街者に好感をもってもらえるような張り店を出してしまうこと。そうすれば、あとは来街者が判断してくれます。
人気のない店は、それで自然に淘汰されていくでしょう。生き残りたい店は、おのずと売り方を変えるでしょう。

中華街には、そういう秩序のつくり方の方が似合っています。

優しいのか

この街は、人に優しい街か

以前から、フロアさん、売り子さんについてはあまりよい評価をいただいていないのが中華街です。それがまた中華街らしいと笑って許してくださるお客様もいらっしゃいますし、習慣の違いだろうと、それで済ませてくださるお客様もいらっしゃいますが、悪印象を持って中華街を後にするお客様も少なくありません。

ましてや、これからは買い手市場が長く続くことが予想されます。「味」を充実させる。品揃えを充実させるだけでなく、お客様への接し方などについても、質的な向上をはかっていく必要があります。

店舗のみなさんだけでなく、公の街としても努力しなければなりません。

現在、中華街のコンシェルジュの養成が行われていますが、みな、そのコンセルジュはお店の中にいます。そして、その存在も、一般のお客様から見て、一目でわかるという状態にはありませんし、声をかけやすい状態にあるわけでもありません。

仮にコンシェルジュ的なものを設置するなら、もっと街頭に展開すべきでしょう。案内所という考え方も、日本人の性質を考えれば、決して利用しやすいというものではありません。
また、そのコンシェルジュの養成の仕方。誰をその候補とするのか、根本的なことでいえば、中華街にとってコンシェルジュといったイメージのものでよいのかどうか…

冒頭に述べたように、各飲食店の「もてなし」という面においては、かなり以前から、その評判はあまり芳しいものではないという現状があります。なじみの常連客と一般客の差を付け過ぎるという話しも耳に入ってきます。こうしたことを、ただ自助努力に任せるということでよいのかどうか…

再考すべきポイントもたくさんあります。
まだまだ、やること(やれること)はたくさんあります。

LinkIconこれも、たいせつな誘客のための事業