150年の向こう側へ
横浜はもっと冷静になるべきだと思うこともあります。
未だに80年代末のバブルの頃のような「夢物語」を聞かされて閉口することもしばしばです。
それより何より、地域企業の中に、改革への意欲というのか、明日を切り拓いていくという機運は希薄で、諦めにも似たムードだけが支配しているようにも思えます。
みな、この停滞感を打破してくれる「誰か」を待っているのかもしれません。でも、そう都合よく、その「誰か」が現れてくるものなのでしょうか。
私自身、話せば判ってもらえるものだと思い、話して相手の行動が変わらなければ、それは相手が悪いのであって、自分がすべきことはやったんだと、そう思ってしまっていたのではないかと反省しています。それも、結果的には「誰か」が現れてくれるのを待っていただけ…そうしたことと大同小異といったところでしょう。
この間、横浜はどんどん下降線を辿っています。起死回生を期したはずのY150開港博も、消費者に見放されたまま、結局、コンテンツに魅力がなかったという、身も蓋もない反省を残して閉幕していきました。
しかも、依然として、抜本的な反省はなされず、広告代理店に対して製作費の返還を要求するという、恥の上塗りのような展開に終始しています。
これで横浜がダメにならないわけがない。それがこの街の現状です。
こうしたときほど、私たちは博打をかけるような、そして楽して儲ける式の構図でもある「イベントに拠る集客」を目指すのではなく、毎日の店舗を見直し、街の清掃を行き届かせるなど、日常的な街を豊かにしていくことを目指すことが必要なのでしょう。
それができれば苦労はしないという声も聞こえてきそうですが
ならばイベントなのかという気もします。
店前をきれいに掃除すること。ひとりひとりのお客さんの声にもっと耳を傾けること。
そうしたことは、たったひとりの店主の方、店のスタッフの方にもできることです。
そして私も、
言うだけでなく、たった一人でも何かを始めてみましょう。
多くの人に呼びかけながら、たった一人でも何かを始めてみましょう。
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